2020年3月29日日曜日

『常識』とは『規則』なのか、それとも別のモノなのか



今回はわたしが気になった『常識』という言葉について、わたしなりに研究してみたという文章を公開してみようと思う。
気になったらでいいので、見ていってほしい。


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世には『常識』と呼ばれる言葉が存在する。

世の大人たちは、子供や他の人間達、ましてやイヌ、ネコにまで言い放つ。
『お前は常識がわからない』
『常識知らずのアホ』
『常識を守れないヤツがまっとうな大人になどなれるか』と。


そこでわたしは考えた。 『常識』とはなんだ?と。

まず人間には、守らなければならないルールが存在することを最初に言っておく。
それは、
・国同士で定めた、人類全体のルール 『条約』、『安保理』など。
・国が定めた、「憲法」や「法律」に値する最低限のルールである 『法』。
・自治体が定めた独自の法である 『条例』
・会社や店などに存在する、ルールやマナーである『規則』

大まかに見ても、これら4つが人類の従うべきモノである。
では常識とは何なのか、わたしが研究した常識の実態を解説していこう。


現代日本に存在する『常識』とは、規則として考えるのなら『あまりにも都合が良すぎる』モノである。

そもそも、『規則』には『法』などと同じく、規制された内容を無視(違反)すれば、当然ながら『罰則』を受けることになる。

例として、君達は『男子が女児用アニメを見るんじゃない、常識だぞ』とか言われたとする。

そして、男の子は女児用アニメにハマってしまった。
そうなれば罰則を受けることになる。

これも実際にあった『常識』による不当支配の例だ。

だがキミたちはそれで『罰則』を受けたか? 当然ながら、答えはNoである。

男児がプリキュアにハマっていようが、女児が仮面ライダーや戦隊モノを見ていたって問題ない。それどころか罰則なんてものは無い。

こんなモノが『規則』として存在する現代日本は、ある意味終わっているも同然である。



そもそも『常識』は、『規則』に抵触している内容のみが限定的に『規則』として扱われる曖昧なモノであり、しかも数多いのだ。

なぜこんなものが社会のルールなんだとわたしは改めて考えた。 そして、ありついた結論は…

『常識』は、現世代の大人が子供を全うな大人にするため、そして人間が真っ当な善良市民であるために必要な『指標』でしかないということだった。

『指標』とは目標のことであり、破ったところで罰則などない。デメリットは『進化できない』ということだけであり、 破れば当然ながら罰則が降りかかる『規則』とは何ら関係のないモノである。


『常識』は指標であり、真っ当な善良市民になるためには従うべきモノではあるが、当然ながらこんな脆いルールに従ったところで、大人に動かされるだけのロボットになるのが最終的な結末だろう。

指標は別に、破ってもいいのだ。
人間は自らの意思で進むべき道を選択することが出来るのだから、それぞれの『常識』もまた、存在することになる。


脆い規則に悩まされ、犯罪やいじめが横行する現代日本は、『常識』という言葉の意味と、再び向かい合わなければならないのかもしれない。