2020年9月26日土曜日

創作小説トリロジー『願物語 Wish upon a Star』公式ページ


JirachiArt's    Project-ReHope
P R E S E N T S


2003.07.19

『七夜の願い星 ジラーチ』
Jirachi: Wish Maker

【物語】は"悲劇的序曲"から始まり


2010.07.21
『星物語:ジラーチ・アナザーストーリー』
HOSHIMONOGATARI: Jirachi Another Story

ただ不自然な希望を目指した




2016.09.26
『希物語 Story of the ReHope』
Nozomi Monogatari: Story of the ReHope


その後希望は還り、輪廻の渦を描いた



そして

2  0  2  0.07.18

【物語】のページは
再び、開かれた


そこには
彼が創作家として振り返る
『原点』があった------


『ジラーチ・アナザーストーリー』シリーズ
第 3 弾


少女は
目覚めた


非情な
『世界』に


居場所を
見つけるために




キャラクターデザイン
八乙女ゆうり

ノベル制作
Project-ReHope


原作
七夜 コヨミ

企画・ノベル執筆
七夜 志希

クリエイティブ協力
柊 ましろ
水縹 瑠音
愛呼音 レミ
佐藤 りん



[ Wish upon a Star ]

崩壊 再生 想造
それら3つの物語を経て

Trilogy

彼女は 願った


世界に 仲間に
そして----








大 好 評 配 布 中 !!
希望は、"原点"へと 回帰する





--Download--




--Cast(脳内CV)--
ジラーチ   日高里菜
星乃あずみ   小倉 唯
ほしのゆめみ   すずきけいこ
ソフィア   水瀬いのり
天王星うずめ   本多真梨子
イストワール   かないみか



--Staff--
原作  七夜コヨミ
ノベル執筆  七夜志希
キャラクターデザイン  八乙女ゆうり


--クリエイティブ協力--
柊 ましろ
水縹 瑠音
愛呼音 レミ
佐藤 りん



2020年9月21日月曜日

創作小説『@<i>deal the Sixth Sense』公式ページ


理想は<眼>持っている。
Your ideals has an <EYES>


JirachiArt's Brand-New Original Novel Project
@<i>deal  -the Sixth Sense-
アットアイディール:ザ・シックス・センス

Work in Progress...

「このつまらない世界を変えたい。 ---そう願ったのが最後だった。」

 2020年。七杜高校に通う普通の男子高校生、神埼透は突如として世界の異変に直面することとなる。

下校途中に、彼は道端で倒れていた少女『ホープ』を助けたことで、彼は現実と理想の境目に閉じ込められてしまったのだ。


『キミには理想を具現化出来る能力があるよ。 キミは自分に正直になるの?それとも世界に嘘をつくの?』


そう言った、「ホープ」との出会いとほぼ同時に発現した異能力『理想トリガー』。 この能力が起こす様々な狂気で、彼は理想と現実の境目を彷徨うことになってしまう。 眼の前に現れるのは現実のオブジェクトに交じるアニメのキャラ、ゲームのオブジェクトなど。 しかも、それらは自分以外にも見えているし、認知することも出来る。


彼は理想と現実の境目を彷徨い、部活の仲間たちと共に調査を開始するも、そこで待ち受けていたのは様々な人物の『理想』が生んだ悪意で生み出された狂気のシナリオだった……



・Keywords

理想能力者(アットアイディール)

眼に特異な紋章を浮かべ、自分の理想認知で生み出したキャラクターを連れて理想を具現化する能力者の通称。

理想認知で最初に生み出されたキャラクターは自らの写し絵で、<i>(アイズ)という名称が付けられている。 <i>の種類、形状などは能力者毎に異なる。 その紋章が@に見えることから、アットアイディールという仮名称で呼ばれている。

 

<i>(アイズ)

アイズとは、発現対象が理想能力者として覚醒した場合に、初期想造段階(イニシャライズ)によって自らの最も強い理想認知上から現実化されて生み出される生命体の総称。 形、振る舞い方、アイズ自体が持つ能力などは能力者毎に異なり、決して同一になることはない。 

 

理想トリガー

理想能力者の能力が暴走した場合、『自らに正直になるか』、『世界に嘘を付くか』の2つから運命選択を余儀なくされるもの。 理想能力者の覚醒もこの能力によって発生する。 不意に発生する理想能力の暴走が招くこの理想トリガーが、透たちを狂気に落としていく……。

2020年8月31日月曜日

「ミッレコメットの創作者」 Mille-Comet Novelist


彗星(ほし)は離れて行き 現実(みらい)は近づくの
創作者はいつか「手順」に気づく

田尻(かみ)の創り出した物語(せかい)は 完全なるモノで
絶対の均衡

それは積み重なる偶然 遊戯盤(ゲーム)上の奇跡
守られてきた©(ルール) 「規制」は終わった
OPEN THE EYES----

3が過去で 0が未来 余裕はどこにもない
背くことの出来ぬロジック OPEN THE MIND----

並行する無数の天 選択は「攻略」へ
創作コミュニティ(なろう)の限界さえ疑う
その()に映る景色は「収束」をする


3つの規制が指す ガイドの制限も
創作者次第で「歪み」を見せる

原作者(かみ)に与えられた叡智は 必ず「穴」がある
空白の領域

それは自由故の偶然
招かれたる奇跡

閉ざされてきたルート 「犠牲」は終わった
OPEN THE EYES-----

創作へと手を伸ばした 思い出のメモリが
書き出す不可思議なストーリー
OPEN THE MIND----

創作コミュニティ(なろう)がまだ隠し持った
根拠のない理論

無謀と呼ばれた「文字(てん)」と「軌跡(せん)」が
願いの能力(ちから)を借りて「完成」をする


3が過去で 0が未来 余裕はどこにもない
背くことの出来ぬロジック OPEN THE MIND----

創作コミュニティ(なろう)がまだ隠し持った
根拠のない理論

無謀と呼ばれた「文字(てん)」と「軌跡(せん)」が
願いの能力(ちから)を借りて「完結」をする

2020年3月29日日曜日

『常識』とは『規則』なのか、それとも別のモノなのか



今回はわたしが気になった『常識』という言葉について、わたしなりに研究してみたという文章を公開してみようと思う。
気になったらでいいので、見ていってほしい。


--------------

世には『常識』と呼ばれる言葉が存在する。

世の大人たちは、子供や他の人間達、ましてやイヌ、ネコにまで言い放つ。
『お前は常識がわからない』
『常識知らずのアホ』
『常識を守れないヤツがまっとうな大人になどなれるか』と。


そこでわたしは考えた。 『常識』とはなんだ?と。

まず人間には、守らなければならないルールが存在することを最初に言っておく。
それは、
・国同士で定めた、人類全体のルール 『条約』、『安保理』など。
・国が定めた、「憲法」や「法律」に値する最低限のルールである 『法』。
・自治体が定めた独自の法である 『条例』
・会社や店などに存在する、ルールやマナーである『規則』

大まかに見ても、これら4つが人類の従うべきモノである。
では常識とは何なのか、わたしが研究した常識の実態を解説していこう。


現代日本に存在する『常識』とは、規則として考えるのなら『あまりにも都合が良すぎる』モノである。

そもそも、『規則』には『法』などと同じく、規制された内容を無視(違反)すれば、当然ながら『罰則』を受けることになる。

例として、君達は『男子が女児用アニメを見るんじゃない、常識だぞ』とか言われたとする。

そして、男の子は女児用アニメにハマってしまった。
そうなれば罰則を受けることになる。

これも実際にあった『常識』による不当支配の例だ。

だがキミたちはそれで『罰則』を受けたか? 当然ながら、答えはNoである。

男児がプリキュアにハマっていようが、女児が仮面ライダーや戦隊モノを見ていたって問題ない。それどころか罰則なんてものは無い。

こんなモノが『規則』として存在する現代日本は、ある意味終わっているも同然である。



そもそも『常識』は、『規則』に抵触している内容のみが限定的に『規則』として扱われる曖昧なモノであり、しかも数多いのだ。

なぜこんなものが社会のルールなんだとわたしは改めて考えた。 そして、ありついた結論は…

『常識』は、現世代の大人が子供を全うな大人にするため、そして人間が真っ当な善良市民であるために必要な『指標』でしかないということだった。

『指標』とは目標のことであり、破ったところで罰則などない。デメリットは『進化できない』ということだけであり、 破れば当然ながら罰則が降りかかる『規則』とは何ら関係のないモノである。


『常識』は指標であり、真っ当な善良市民になるためには従うべきモノではあるが、当然ながらこんな脆いルールに従ったところで、大人に動かされるだけのロボットになるのが最終的な結末だろう。

指標は別に、破ってもいいのだ。
人間は自らの意思で進むべき道を選択することが出来るのだから、それぞれの『常識』もまた、存在することになる。


脆い規則に悩まされ、犯罪やいじめが横行する現代日本は、『常識』という言葉の意味と、再び向かい合わなければならないのかもしれない。